ボカロ文化においての原曲へのリスペクトについて

はじめに

参考リンク

とあるボカロPさんの発言がTwitter上で問題視されているようです。

なんとも悲しいのが、歌ってみた界隈からしょっちゅう炎上に結びつけかねないような火種が出てくること。
それがあまりにも多すぎる上に、見てる自分からしても腹立たしい事ばかりなのです。
彼らの言葉を借りれば、
「ボカロが栄えているのは歌ってみたのおかげ!もっと歌い手に感謝するべき!」
「ボカロ曲は人が歌って初めて完成すると思っている」
「ボカロPは歌い手のための曲の下請け工場」
「歌ってみた拒否るPとかいたら潰すから教えれ」
などなどということらしいんですよね。

アホかと。

作曲者から「お願いします」と頭を下げるのは、「歌ってもらう」場合です。
こちらが「この曲にはこの人の声が欲しい!」と思って、作曲者から依頼する場合です。
どっかの誰かが勝手に歌って、それが人気になったところで、「はあ、ありがとうございます」と棒読みで言うぐらいしかこっちにはできません。
しかもそれも、ちゃんとした歌唱力で歌っているならまだしも、明らかに音痴だったり、
曲を殺すようなアレンジをしたり、そんな歌声にまで感謝しろと言われても困る話です。
むしろ「消せ」と言いたいぐらいのところを抑えることもあることです。
Ohnuma Sound Lab. blog  年の瀬・歌い手・ボカロ界隈・これからの活動 より引用

その後この方は自身の発言に対して謝罪をしています。

前回の日記で、

『しかもそれも、ちゃんとした歌唱力で歌っているならまだしも、明らかに音痴だったり、曲を殺すようなアレンジをしたり、そんな歌声にまで感謝しろと言われても困る話です。
むしろ「消せ」と言いたいぐらいのところを抑えることもあることです。』

という書き込みをしております。
これに関して、「音痴であること」と「曲を殺すアレンジをしたこと」を同列に扱ってしまった事に関して、お詫びいたします。申し訳ありませんでした。
音程が外れている、というのは、生ボーカルにはありがちなことです。そして人によっては、かなり音程が外れてしまう事もありえます。そういった不可抗力(もちろん、何度も歌唱の練習をしたりする事で改善する事もあるとは思いますが)に近い事と、意図的にアレンジをすることを同列に扱ってはいけない事です。
また、この書き方では本来曲を殺すアレンジに対しての言葉である「消せ」というのが、音痴であることに対してもかぶってしまいます。
本当に申し訳ありませんでした。
【追記1】前回の日記についての補足・お詫び・コメント返信などから引用

今回はボカロ文化や歌ってみた文化においてのリスペクトについて考えたいと思います。

楽曲の利用規約について
そもそも楽曲が歌われるには原曲のカラオケが公開されているのが前提なわけで、ボカロPは「歌ってみた」がOKならばオケを公開し、ダメだったら公開しません。ですのでオケが公開されているということは、作曲者の同意を得てその楽曲は素材としてニコニコ動画のユーザーに提供されているわけです。作者自身のポリシーなどがあるのであれば、その素材の利用規約を用意してルールを厳守してもらうというのが一般的だと思います。

ただ、その利用規約というのは万人共通ではないのです。人によっては歌詞の改変を禁止していたりしますが、なんでもありという方もいます。営利目的での利用か否かによっても変わってくることもあります。イラストの世界においては、例えばピアプロでは絵を借りる際にイラストをどの程度改変して良いのか明記されていたりします。ピアプロのサイトの機能でその辺りの意思表示が簡単になっていますね。しかし、仮に利用規約に則っていても、作品というのは作者の意図しない使われ方をされてしまう場合があります。

楽曲へのリスペクトについて
ニコニコ動画の場合作品は知名度によって価値が判断されている側面があります。その知名度を悪用する人もいます。人気な楽曲の歌詞を変更してそれを政治への批判に、或いは特定の個人に対しての誹謗中傷のために使う人もいたりします。それでは作品へのリスペクトが仮にあったとしても(好きだからその曲を選んでいるのかもしれませんし)、作者にはその思いは伝わらないと思います。

また、仮に作品の改変を行っていない場合でも、ブームに便乗する目的で楽曲が使われると、作者や原曲のファンに不快感を与える可能性があります。同人で東方プロジェクトという作品がありますが、そのブームに乗ってお金目的でアレンジCDを出している人達がいたりするわけです。これを原作(元はゲーム)へのリスペクトが足りないと指摘する人もいます。ニコニコ動画の場合お金目的で便乗することはあまり無いのかもしれませんが、売名目的で人気の曲を選曲して唄われる歌い手さんは多いのではないでしょうか。知名度を上げるために、再生数を稼ぐために作品が利用されているのであれば、そこに原曲へのリスペクトはあるのでしょうか。個人的な意見ですが、有名になるために他者の作品を利用するのは、お金儲けのために人気作品に便乗する同人界に存在する性質とさほど変わりは無いと思います。同人では原作の知名度によって同人誌の売り上げが左右されたりするわけですが、「歌ってみた」の場合では原曲の知名度で再生数が左右されている側面があります。そして知名度というのはお金に換算することができます。それはニコニコ動画のニコニ広告という機能が証明しているでしょう。そこでいくら「原曲を宣伝してあげてるんだから感謝しな」と言っても、それは同人文化においての「原作を宣伝してあげてるんだから感謝しな」という言い分とまったく同じだと思います。

「おんぶにだっこ」はボカロPも同じ
今回の件で一部のボカロPが歌い手を敵視する流れになっているのであれば、考え方をもっと柔軟にするべきだと思います。仮に過度な権利の行使を行ってしまうとそれはボーカロイドの文化を壊すことになるからです。初音ミクに「おんぶにだっこ」してもらっている立場なのだから、その分ボカロ界に恩返しするのが筋なのではないでしょうか。「歌ってみた」という文化はボーカロイドの発展においてとても重要な役割を果たしていると思うのです。その手段として、自身のボカロ曲の権利関係を緩くするというのは有りだと思います。クリプトンだって、本来主張できるはずのキャラクターの権利をできる限りオープンにしているじゃないですか。その恩を忘れてはならないと思います。仮に初音ミクが実在するとして「疲れたからここからは自分で歩いて」と言われたらどうします?そうしたら初音ミクというプラットフォームとネームバリューを利用して集客することはできないし、CDのパッケージに客引きになるボーカロイドのイラストも使ってはいけない。作品を聞いてもらうために、自分自身のブランドを確立して勝負していかなければならない(今のsupercellさんのように)。ヒャダインさんの例を見ても、プロデュースというのは無名のアーティストにヒット曲を提供して有名にさせて初めて「わしが育てた」と言えるものなのではないでしょうか?

――そんな経験を経て作曲されたのが、倖田來未×misonoのシングル「It's all Love!」(エイベックス・エンタテインメント)、東方神起のシングル「Share The World」(同)。2009年4月のチャートでいずれも1位を記録しました。そのときはどんな気分でしたか?

前 何とも言えない気分でしたね。東方神起はアニメ『ONE PIECE』(フジテレビ系)のオープニング曲で毎週放送されて、倖田來未×misonoも姉妹の初のコラボ曲として話題になり、ワイドショーでも取り上げてもらいました。もちろんうれしかったんですけど、あれはアーティストの力であって、自分の力ではないと思うんです。それよりは、1st、2ndシングルが売れなかった麻生夏子が、僕が参加させてもらった3rdシングル「Perfect-area complete!」(ランティス)で18位だった時の方が手ごたえを感じましたね。
AKB48、ももクロ......ヒャダイン/前山田健一が語るニコ動&アイドル曲方法論(前編) から引用

最後に
ボカロPは自分の作品を素材としてニコニコ動画のユーザーに提供するのであれば、どのような利用のされ方を想定しているのかの明確な線引きを行うべきです。そして、仮にその線を越えてしまった二次創作があったとしても、そこに愛があるのであればそれを認める心の広さが求められていると思います。歌い手の方は他人の著作物を利用するのであれば、仮に作者が明確な利用規約を設けていなくても、良識の範囲での利用を心がけるべきであると思います。

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